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Activity report Ⅳ

他団体との連携 / 活動報告

​私達は同じように「豊かな自然を次世代に手渡すため」の活動を行っている

他団体とも連携をしながら活動しています。

2017年

9月2日~3日

「第38回東北自然保護の集い・

          秋田マタギの里集会」参加報告

                                髙橋 淳一

 9月2日、3日の2日間、マタギの里として有名な秋田県北秋田市(旧阿仁町)打当温泉マタギの湯にて「第38回東北自然保護の集い・秋田マタギの里集会」が開催された。

 

 参加者は70名余り、福島県からは8名が参加した。テーマは「野生動物との共生を考える」、ツキノワグマ、ニホンジカ、イノシシによる人身事故を含む各種被害が拡大深刻化する中、人口減少や里山利用の変化、さらには耕作放棄地の拡大等、山村の荒廃に起因する課題にどのように対処するかが議論された。

 集会では「ツキノワグマの現状(秋田県)」小松武志氏(北秋田市商工課主幹兼くまくま園園長)、「シカとオオカミの作る生態系」大槻国彦氏(奈良県十津川村・熊野の森を作る会事務局長)の二氏による講演が行われ、小松氏は秋田県のツキノワグマの生息頭数を1100頭(過少評価数)とした上で、捕獲数が100頭未満の年に被害が多くなること、クマの性質は個体差が大きく、人間への恐怖心の強弱、人間空間におけるメリット、デメリットの認識度について分析、人間への恐怖心が弱く、人間空間にメリット(餌が豊富等)を認識した個体が積極的に人間を襲うとの見解を示し、クマが人を天敵と認識するような対策(駆除)や犬(クマ除犬)の活用による追い払いが効果的であるとの具体策を述べられた。

 また、大槻氏は活動フィールドである「大台ケ原」がニホンジカによる食害によって裸地化が拡大、広範囲な「防鹿柵」の設置によって、辛うじて景観を維持している状況であり、頭数調整が不可欠であるが、奈良県民のニホンジカに対する思いは特別であることに触れられ、北米イエローストーン国立公園におけるオオカミ導入による成功例から学ぶべきではとの提案。福島県でも尾瀬における希少植物の食害対策として同様の「防鹿柵」が設置されており、全国的な課題であることを実感した。さらに、一般参加された、「(一般社団法人)日本オオカミ協会」のメンバーからは東北地方での積極導入が自然生態系を維持するためには不可欠であるとの発言。

 しかし、日本における導入には、効果の検討以前の問題として、絶滅に追いやってしまったニホンオオカミの「家畜や人を積極的に襲った」「狂犬病に感染」等の負のイメージや歴史の検証が必要であるとともに、機運醸成には高いハードルと長い道のりが必要であることを感じた。

 続いて行われた各県からの報告では、山形県「最上小国川ダム建設差し止め住民訴訟」、福島県「只見川ダム災害損害賠償請求訴訟」と司法の場によるものや宮城県「放射性指定廃棄物処分場問題(加美町)」、青森県「風力発電開発と関連環境保護条例」等の対立関係にある活動を始め、行政機関との協働による秋田県「ブナ植林運動」、岩手県「早池峰エコパーク指定登録運動」の経過報告が行われた。加えて、筆者は福島第一原子力発電所事故による空間線量率、放射性物質降下数量の年次変化や野生動物のモニタリング結果(捕獲動物のセシウム含有数量)に基づく汚染の現状とともに、450基を超える大型風力発電開発計画について、6年前の秋田集会からの継続報告を行った。

 初日の会議終了後の懇親会、見慣れた顔ぶれが並ぶ中、少人数ではあったが二十歳前後の学生も参加してくれた。1980年代から活動を支えた東北の仲間達も高齢化により、かつての行動力は無い。白神に代表されたブナ林伐採、リゾート開発に揺れた各地の名山、連携した活動によって残された東北の自然と景観、普遍的な価値として、彼らが次世代へ引継いでくれることを信じ、銘酒片手に深夜まで語らいは続いた。

2017年

11月3~4日

  第20回クマを語る集いin仙台     

                     片山 玲子

  11月3~4日、「第20回クマを語る集い」が仙台市、茂庭荘で開催された。昨年は福島、中ノ沢温泉で行われ私は初めて参加した。

   たくさんの出会いがあり、心揺さぶられるお話を聞き、充実したひとときだった。1993年に始まり、残念ながら今回で最後の集いだという。

 この集いのコンセプトは「ヒトかクマかではなく、ヒトもクマも」。ヒトもクマも共生できる社会を作るために、たくさんの人々が様々な活動を続けてきた。昨年の集いでも感じたが、特に岩手大、北海道大「クマ研究会」の学生達が頼もしい。食性の調査や電気柵での被害対策を実践し、発表する姿は「クマが大好き、自然が大好き!」という思いがあふれ、元気いっぱいだ。この手の集まりではメンバーの高齢化がいつも問題になるが、この若者達を見ていると本当にうれしくなる。彼らを支えている周囲の大人達の存在があるからこそ、彼らがこんなに輝いているのだと思う。他にも岩手、宮城、山形の担当者、専門家、養蜂家からの報告が続き、現状を知ることができた。

 もう一つ、金山町のマタギ、猪俣昭夫さんとの出会いも大きい。正確には2年前、「春よ来い」という映画で出会った。その映画を観て感動した高橋淳一さんが、昨年の集いで猪俣さんを呼び講演していただいた。今回は途中で退席されお話しする時間はなかったが、実は集いの数日前の福島民報に猪俣さんを紹介する大々的な記事が載った。マタギとして伝統を守り、クマと共に生きるということはどういうことなのかが丁寧に書かれており、懇親会でそのコピーを配らせてもらった。その中から少し紹介したい。

・人の生活が変わり里山に入らなくなると、熊は人を恐れなくなった。罠にかかって死んだ熊の経験は仲間に伝わらず、人を恐れない熊は増える一方だ。そして同時に人は過剰に熊を恐れるようになった。

・罠を仕掛けて殺すのはむごい。人は天敵だと熊に教えてやることが大事なんです。

・遠くから獲物を狙えるライフルは使わない。こちらの存在に気がついていない熊を撃つのは、命に対する敬意に欠けるから。熊の息遣いが聞こえる距離で対峙するのがマタギです。だからこそ熊の命も自分の命も感じることができるのです。

 

   私達は皆、生きるために他の命を奪う。熊でも豚でも魚でも野菜でも。命に向き合い、命をいただいて生きるとはどういうことなのか、そんな根源的な問いを、クマという一つの象徴が私達に投げかけている。クマを語る集いは一区切りとなるが、きっとまた違う形で続いていくと思う。原発事故以降難しい問題が山積みの福島ではあるが、私もあきらめずに、微力ながらできることを皆さんと一緒にやり続けていくしかないのだと、改めて思う。

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