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虫送り資料室-4  (東日本)
Reference room - 4 (Eastern Japan)
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神奈川

【虫送り】神奈川県横浜市都筑区南山田

江戸時代より伝わる。横浜市指定無形民俗文化財2005年〈平成17年〉指定)。戦後第二次世界大戦後)は途絶えていたが、1976年(昭和51年)に復活した。

新暦時代の現在は7月の土用入り後の最初の土曜日に行われている。視点は氏神である山田神社。獅子頭、独自の囃子「虫送りの曲」、空き缶に火を灯した松明、囃子連によるひょっとこ踊と獅子舞など、多くの独自性が見られる。地域は宅地化されて往時の農村風景を失っているが、保存会(虫送り行事保存会)と町内会を主催とし、地域の夏の恒例行事として伝承されている。松明の数を、200本であった2015年(平成27年)に対して翌2016年(平成28年)は250本に増やすなどしている。

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【日向の虫送り】神奈川県伊勢原市日向薬師

2月3日の虫焼き、4月8日の虫封じに続いて行われるもので、田植えのすんだ7月中・下旬に毎年行われていた。

田植えが済むと田の神が山に登って行くとされ、そのときに害虫も一緒に連れて行ってもらおうとして始まったと伝えられている。 

 日向(新田)では、この日、氏神社でお祓いを受け、夜になって鉦や太鼓を鳴らして紙製の旗を馬の背に立て松明を焚き法螺貝を吹きながら三畝塚へ虫をおくっていったと伝えられている。また、上粕屋のT.S氏の裏山には虫送りの祠があり、昭和初期までズイムシが出る頃に松明を持ち鉦や太鼓をたたいて蛾などを呼び寄せながら行列が裏山まで来ていたとも伝えられている。この祠には官製11年と記されている。

日向神社でお祓いを受けた後、修験者や御幣を先頭に法螺貝の鳴り響く中、松明を持って日向道または日陰道を練り歩く。神明橋の先の最終地点で松明のお焚き上げをして豊作と無病息災を祈願する。

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埼玉

【門平/ 立沢の虫送り】埼玉県秩父郡皆野町門平 / 立沢

◇門平の虫送り

8月16日に行われる。シンコの笹竹に七夕に作ったノロセと炒りさごを吊し、送り竹を作る。炒りさごは麦、大豆、粟などを炒り、一つまみの紙捻にしたもので、家族中の体を撫で、体に付いた虫を封じ込める。各戸から子どもたちが送り竹を持って集まり、大人を先頭に行列を組み、笛や太鼓を従え、虫送りの唱えごとを唱え地区を練り歩く。最後に世話人2人が送り竹を束ね地区境に立て掛けて帰る。

◇立沢の虫送り

8月16日に行われる。七夕飾りを集会所に持ち寄り、長い竿竹に取り付け、先端には幣束を差し込んで3本の梵天を作る。長老が五色旗と幟旗を用意し、昼食後、集会所に各戸1人ずつが集まり、御神酒をいただいてから、梵天を先頭に旗を持ち、笛、太鼓を鳴らし、唱えごとを唱えながら地区を回る。一周すると、梵天の幣束とノロセを外し、世話役が村境までくだり、吉田町との境をなす阿熊川へ流し送る。

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【北川崎の虫追い】埼玉県越谷市北川崎

北川崎の虫追いは、北川崎の川崎神社において毎年7月24日に行われる行事で、江戸時代から続いている民俗行事。
麦わらを束ねたたいまつに火を灯し、田んぼの畦道を行進しながら稲につく害虫を追い払い、豊作を祈願するもの。

直径50センチメートル、長さ3メートル程の火をつけたたいまつを持ち、かねや太鼓を鳴らしながら「稲の虫ホーイホイ」と声を合わせ行進する。

(指定日:昭和52年3月29日、県(選択)無形民俗文化財に選択指定。平成20年3月14日、県無形民俗文化財に指定替。)

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千葉

【野田の虫送り】千葉県袖ヶ浦市野田地区

野田地区では毎年7月31日に虫送りが行われる。虫送りで使われる神輿は全て手作りで、神輿の一番上には稲穂をくわえた鳳凰を立てる。子どもたちはその神輿を担いで、『ワッショイ!ホーネン!』と豊作を願うかけ声をかけながら、野田地区内の家々をまわり、そして最後に野田堰に投げ込む。
その様子はまさに、稲作と共に生きてきた日本人の歴史を思い起こさせるもので、古くからの伝統を忠実に受け継いでいるという点で重要だ。

朝9時に現地入り。野田神社に長老が集まり、材料(竹や桧枝)の調達先を決める。切り出した材料がそろったところで、神輿作りと鳳凰作りが始まる。2時間半ほどかけて完成し、拝殿内に奉置。午後1時、子どもたちが集まり、ムラ廻りへ。途中3カ所の水田で水口に注連のついた女竹を立てる。地区内58軒を4時間ほどかけて回り、お捻りをもらう。午後4時ころ、小学生は解散。このとき、中学生からお捻りを分けてもらう。その後、中学生だけで20軒ほど回り、野田堰へ神輿を投げ入れて終了。

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【虫送り】千葉県山武市蕪木地区

高く組み上げた竹やぐらに火を点ける。夏の夜空にパチパチと大きな音とともに立ち昇る炎。

「虫送り」は、稲につく害虫を駆除する為に、様式は違えども農村の伝統行事として1960年代の初め頃までどこの田んぼでも行われていた。夏の一大イべントであり、五穀豊穣を祈願する祭事·神事でもあった。

2013年に「天に星·地に花·人に愛」をスローガンに掲げ、蕪木地区木戸川沿いで「虫送り」を復活させてから6年。子供たちも夏休みになると真夏の太陽が照り付けるなか、真っ赤な顔で作業を手伝い、
1年生から参加した子供たちも今年は6年生になる。
虫送り当日は、日没後にやぐらに弓矢で火が放たれる。夏の夜空にたちまち立ち昇る炎、月、水辺、歓声。郷土の原風景の一つとして心の片隅に残しておいて貰えればと思う。

ここ蕪木地区には昔から伝わる「太郎丸」伝説がある。かつて村人達に恐れられていた妖怪をカブラの矢で仕留めた太郎丸。令和元年夏、文月下旬、今年も現れるのだろうか。    (山武市社会福祉協議会 会報「きずな」2019夏号より)

※和太鼓のBGMも入り勇壮な「どんと焼き」や「歳の神」のような「虫送り」ですね。
 

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長野

【虫送り】長野市篠ノ井横田東横田区 ※長野市選択無形民俗文化財

東横田地区の虫送り行事は、毎年8月4日(平成28年より8月第1日曜日)に地区の子ども達によって地域行事として行われている。
 当日の朝、千曲川河川敷に虫かごの材料になる葦(よし)を採りに行くことから始まり、昼すぎには、横田神社に集まり、小学校高学年の児童が伝承者の指導のもとに葦で四角錐のかごを編む。捕った虫をかごに入れ、虫かごを担ぎ、太鼓を叩き、「なーのむしおくれ」などと唱えながら、村中をふれてまわる。地区内の観音寺では虫供養が行われ、行列は、横田神社にもどる。
 夕食後、横田神社に集まり、子ども達は虫かごを担ぎ、松明を持ち、太鼓を打ち鳴らしながら千曲川に向かう。村境の岩野橋のたもとで松明を焚き、橋の中ほどでこの虫かごを燃やして千曲川に流して終わる。
 虫送りは、農業生産に関わり、農作業に伴う病虫害駆除のために害虫を村外に追い出す行事として全国各地で行われ、長野市でも広く行われていたが、現在、虫送り行事が残っている地域はわずかである。
 長野市内では、篠ノ井犬石区の虫送り行事が昭和58年に無形民俗文化財に選択されている。

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【先達の虫送り】長野県諏訪郡富士見町

子ども、親、役員が公民館に集まり、役員の指導のもと松葉を麦藁で包み、それを心棒にゆわえつけ、たいまつをつくる。太鼓と双盤を備えつけた先導車に、火をつけたたいまつを持った子どもらがならび、予備のたいまつを積んだ後尾車がつく。太鼓と双盤を交互に打ち鳴らし、たいまつを高くかかげ「送れ 送れ 稲虫送れ」と大声ではやし唄をうたって進み、区内の水田地帯を回り、鹿の沢川西のお鍬山の神(御鍬社)にお参りをして、公民館に戻る。役員からねぎらいの言葉とご褒美をもらい、解散する。音と唄と煙によって、稲虫などの害虫を追い払おうと実施するところに、特徴がある。

【日吉の御鍬祭り】長野県下伊那郡阿南町和合日吉

日吉の御鍬祭りは、五穀豊穣と虫送りの性格の強い祭りであるが、その詳しい由来はわかっていない。

寛保2年(1742)に、伊勢国外宮から発したお鍬様が神輿によって運ばれてきた時、上街道で浪合の関所を通ることができず、心川関所へまわってきたがここも通れず、仕方なく和合の金谷へ祀って伊勢に帰ってしまった、というのがこの祭りの起こりとされている。
 金谷に元社があったといわれているが、後にこの御鍬様を村の産土神伊勢社へ分けて末社として祀るようになり、同じ日吉地区に峠を越して2カ所に祀られるようになった。そこで御鍬様の祭りには、伊勢社の御鍬様が金谷の御鍬様に会いに行くようになったといわれている。
 祭りの日は、古くは旧暦3月14日であったが、現在は4月29日を祭典の日としている。この祭りはお練りが中心で、古くから「お鍬様のお練り」といわれていた。鉄製の鍬形の御神体を神輿に移し、伊勢社からお練りをしながら金谷の御鍬様まで行き、さらには金谷の金光家で神楽を奉納し再びお練りをして伊勢社へ帰る。
 御鍬様の祭りは広く愛知県から三重県にかけての農村で行われる春の豊作を祈る祭りで、いつの時代かに、御鍬様・念仏踊り・お練り・湯立神楽の舞が次々に取込まれて、独特な日吉の御鍬祭ができあがったものと考えられている。

静岡

【虫送り】静岡県藤枝市岡部町殿地区

8月23日、岡部町殿地区に広がる水田に、鐘の音色と元気な掛け声が響き渡りました。

この日行われたのは、殿地区に伝わる伝統的な農行事「虫送り」。虫送りとは、田んぼの脇に虫退治用のたいまつをたき、火の中に飛び込む害虫を駆除し、虫の供養を行う農行事です。

この行事を県内で唯一実施しているのが岡部町殿地区で、農薬などの普及で一時は途絶えていましたが、昭和50年代後半に地元有志が復活させ、殿地区の夏の風物詩となっています。

この日集まったのは、親子連れなど約300人。カーンカーンカンカンカンという鐘の音色に合わせ、「なんの虫おーくーる」「田の虫おーくーれ」「青田の虫おーくーれ」と掛け声を上げて、水田沿いの道約1キロメートルにわたって並んだ竹でできた大きなたいまつに、火をともしながら歩きました。

その後、お経を上げて虫を供養。豊作への祈りをささげました。

 (藤枝市役所Facebookより)

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【向市場の虫送り念仏】静岡県浜松市天竜区水窪町地頭方

8月14日夕刻から始まります。春日神社から出発して、三界万霊塔・庚申塔・村入口の辻・道祖神・中学校運動場入口(旧善住寺)・善住寺と回ります。虫送りが目的のこの念仏は、村の入口、出口に当たる要所要所で唱えます。
 行列は五方の提灯・傘鉾2本・双盤・太鼓・笛と並びます。当地ではこの行事を「デンデコ」と呼びます。太鼓の音からきた呼び名で、太鼓が重要な役目を担っていることがわかります。
 道中は、笛太鼓で道中を練り囃(はや)しながら移動します。踊りの場につくと、練り込みといって、足を大きく動かしながらリズミカルな囃子(はやし)を奏します。
 到着すると、弓に下げた五方の提灯で、東南西北中央に向かってそれぞれに「東に向かって持国天に念仏申す」「南に向かって増長天に念仏申す」…と唱えながら五方を拝みます。五方の提灯には「南無阿弥陀仏」「虫送り供養」と書いた紙が下げられています。
 この五方拝が終わると、桶太鼓を斜めに地面に置いて、念仏が始まります。念仏の最中は、遠州大念仏と同じように歌枕に合わせて太鼓が打たれます。音唱は太鼓の後ろ側に位置し、傘鉾の中で唱えます。
 虫送りが終わると、善住寺で新盆供養や先祖供養の念仏になります。「念仏を買いに来る」といい、希望者が寺までやってきて、そこで申し込んで、それぞれの仏さんにあった念仏を申してもらいます。          
(浜松お祭り暦より)

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新潟

【善願の虫送り】新潟県​五泉市赤海地区

長年風土病であるツツガムシ病の被害に苦しめられてきた、阿賀野川・早出川流域で行われてきた虫送り行事の中で、現在も唯一行われている行事である。祈祷の後、五色の旗を持った人々が虫除け地蔵を担いで集落を回り、橋の上から五色旗を流した後、火渡りを行う。祈祷、行列、火渡りといった多重構造を持ち、他の地域の虫送り行事には見られない修験道の要素を取り入れており、地域の歴史や人々の祈りを今日に伝える、貴重な民俗行事である。 (文化遺産オンラインより)

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【綱木のいな虫送り】新潟県三川村綱木

※ この虫かごは形状も、飾る花がタチアオイなのも尾岐(高橋)の虫かごによく似ています。一度調べに行かなくては・・・と思っていたのですが、どうやら今、この綱木の虫送りは中止されている模様です。

【虫送り】新潟県三条市下田地区​

下田地区では子どもたちが飾り付けをしたササでイネをなでながら集落を一周し、害虫をくっつけたササを燃やすのが基本的なスタイル。ただ、今は燃やすことはなくなり、7月15日行うところが多かったが、参加しやすいように週末に行うところが増えている。虫送りを復活させた集落も出ている。

荒沢では午後4時に集合場所の荒沢ふれあいセンターを出発。ほら貝と太鼓を先頭に、子どもたちは七夕のように短冊や折り紙を飾ったササを持ち、地元の人たちで行列をつくって進んだ。鳴り物の音に誘われて通りかかった家の子どもたちも用意したササを手に合流。最終的に子どもは十数人になり、家から出てきた人には菓子を詰め合わせた袋を配った。(中略)

1時間余りかけて荒沢ふれあいセンターに戻った。地元のお年寄りは「いっぺ虫、くっつけてきたか?」と子どもたちに聞き、害虫をたくさんくっつけてきたはずのササを回収した。  (地元情報誌ケンオードットコムより)

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富山

※ 2024年1月1日、能登半島地震の被災地でも行われていた虫送り。現在の詳しい状況は分かりませんが、一日も早い復興と伝統行事の復活をお祈りしています。

 

【床鍋の虫送り】富山県氷見市床鍋

​江戸時代における越中国射水郡床鍋村、幕藩体制下の加賀藩知行越中床鍋村)に伝わる。約130年前(2017年時点)に始まり、一時途絶えたが、1990年(平成2年)に復活した。現在は新暦6月中旬に行われる。幣帛を立てて竹と藁を主材に作られた直径約1メートル・長さ約8メートルの円筒形の大松明に村外れで火を点けた後、山道や畦道を曳き廻し、鉦や太鼓を打ち鳴らしながら「泥虫どろむしほーい、泥虫ほい」の囃子文句と共に練り歩き、最後に大松明を(現在は1992年〈平成4年〉に廃校した旧床鍋小学校跡のグラウンドに)立て、一気に燃え上がる炎で稲虫を追い払う。2004年(平成16年)に富山県教育委員会主催で選定された「とやまの祭り百選」の選定物件の一つ(選定名称:床鍋の虫送り)

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石川

※ 2024年1月1日、能登半島地震の被災地でも行われていた虫送り。現在の詳しい状況は分かりませんが、一日も早い復興と伝統行事の復活をお祈りしています。

 

 

【虫送り】石川県白山市横江町

白山市域でも、農薬が普及するまでは、山ろくから平野部まで広く行われていましたが、現在では、この行事を絶やす事無く継承している集落はごくわずかとなってしまいました。
横江の虫送り発祥については、江戸時代に加州御郡奉行に願いでた記録などが残っている程度で、いつごろから発生したものか不明です。

 

行事を行う日は、以前は毎年7月21日の夜と決められていましたが、現在では7月の海の日の前日の日曜日に開催されています。当日は夕方から宇佐八幡神社を出発し、桶胴太鼓を先頭に行列の人々が手に松明をともして従い、主だった若者たちの誘導で野良道を行進します。他集落の若衆太鼓の参加もあり、田圃を広く回って火縄アーチ(幅3.74メートル、高さ3.5メートル)に近づき山形の両端から点火し、中央の「虫送り」の字をくっきりと燃え上がらせます。その下をかいくぐって太鼓は神社境内に向かって走りだし、松明は大かがり火に点火されます。松明の火の粉を浴びながら、狂ったようにうちならす太鼓の競演は、夏の夜の火祭りにふさわしい光景を描き出します。また、余興として太鼓が終了すると、境内で子ども相撲が開催されるのも横江町の特色です。
農村部に残る虫送り行事の中でも、伝承の古さと規模の大きさに特筆すべきものがあるといえます。

(白山市ホームページより) ※こちらは本年(2024年)行われたようです

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【虫送り】石川県ほかの地域

①石川県輪島市杉平町 不明

➁石川県野々市市 2024年郷土資料館企画展「野々市の虫送り」開催

 

③石川県七尾 

“豊作や復興願う” 伝統行事「虫送り」行われる 石川 七尾  2024年6月9日 (NHKニュースより)

能登半島地震で大きな被害を受けた、石川県七尾市では豊作や復興を願って、伝統行事の「虫送り」が行われました。

七尾市の「虫送り」は、田植えが終わったこの時期に、稲につく害虫をたいまつの火で追い払って豊作を祈願する伝統行事です。

8日は小牧地区の住民や大学生、それに復旧の支援にあたっているボランティアなどおよそ80人が参加し、竹で作られた長さ1メートルほどのたいまつに火をつけました。

そして、五穀豊じょうと1日も早い復興への願いを込めて、掛け声をあげながら火をかかげたりかねや太鼓を打ち鳴らしたりしながら練り歩いていました。

小牧地区では、地震で用水路などが被害を受け、ほとんどの田んぼで田植えができなかったため、一時は、中止も考えたということですが、地域のつながりを大事にしたいと開催しました。

地震直後からボランティア活動をしている神戸市の53歳の女性は、「地震後からほとんど状況が変わっていません。まちの再建を願う地域の人たちの思いを感じました」と話していました。

「虫送り」を運営した小牧壮年団の浦上祐幸さんは、「たくさんの人たちの協力があって開催できたので感謝しています。ふだんどおりの生活や風景が戻るように願っています」と話していました。

④石川県金沢

※​こちらも本年の開催は不明ですが、2021年にこんな記録が残されていましたので紹介します。

田上小の虫送り行事 (金沢市田上公民館ブログ)

7日(水)の朝、田上小学校5年生(4クラス・147名)の総合学習「命とともに歩む」~虫送りという伝統行事を通して~が、一限目を利用して開催され、里山メートの亀田さんと柳橋さん、安全サポート隊の上田会長と橋本さん、今でもコメ作りを実践しています中山町の岡嶋さんらにより、児童手作りの「五穀成就稲虫送り」の旗とたいまつ(各クラス8本とたいまつ一本)を掲げ、体育館内を、"ごこくじょうじゅいなむしおくり"と声を上げながら伝統行事の一端を体験しました。
 毎年は、キタダンの棚田で、児童自らが田植えした田の畦道を、太鼓の音に合わせて声を上げながら巡っている行事ですが、コロナ禍の下で、5年生による田植え等も中止なり、先日、5年生の担任の先生によって田植えが行われ、全体の田には、金沢大学の学生による田植で完成していますが、残念ながら、稲虫送りの行事も外ですることができず、担任の先生の体験をさせたいとの強い思いがあり体育館で実施されたもので、亀田さんから、虫送りの歴史や目的等の説明があり、岡嶋さんからは、コメ作りを行っている実践者としてのお話や昔の虫送り等の話も聞き、たいまつを先頭に旗を持って声を上げながら体験いたしました。

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福井

【虫送り】福井県鯖江市生田町 

​ 毎年7月23日に町内の地蔵堂ほかで行われる地蔵盆と病害虫駆除の祈願が一つになった行事。

河和田地区を代表する行事で、市の無形文化財でもあります。

夕闇が迫るころ、子供たちは神社境内に集まり礼拝をおこない、その後松明を灯し「松明送れ、こんか虫送れ」という言葉を繰り返しながら町内を練り歩いていきました。

闇に浮かび上がる炎の列は言葉にならないほど幻想的であります。
 この行事の由来について、次のような話が伝わっている。

“村の入り口に館を構えた朝倉方の塚田五郎左ェ門という武将が織田方の攻撃に遭い、つまづいて転んだところを切り殺された。死ぬ間際に、「この稲株のために負けたのだ。この恨みはきっとはらす。」と言い残した。

それ以来、彼の魂はコンカ虫(稲の害虫の呼び名)となって村人を苦しめた。

村では彼の魂を鎮め、虫を追い払うために「虫送り」を行うようになった”ということです。

虫送り行事は、一般的に源平時代の武将、齋藤実盛にまつわる行事とされ、かつては日本各地の農村で見られた行事であるようです。

 実盛は、武蔵国長井荘(埼玉県)に居住していたが、その生誕地は鯖江市南井町だといわています。

なんとも鯖江にご縁のある伝統行事。 

近年各地で姿を消しつつあり、後世に伝えたい貴重な行事であります。

​「さばえ.jp百さんのブログより

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【虫送り】福井県越前市

 地元に「虫送り」の伝統行事が残る越前市大虫小学校の五年生六十五人が十三日、自分たちで考えたオリジナルの虫送りを行い、五月に田植えした水田の豊作を願った。

 虫送りは、たいまつの火を田んぼにかざし、太鼓などの音とともに害虫を払う伝統行事。同小のある大虫地区では、虫送りと七夕が一つになった「太田新保の七夕」が市無形民俗文化財になっている。学校近くの二十アールの水田脇に集まった児童たちは、虫を驚かす太鼓演奏を合図にスタート。

 「送るぞ送るぞ、天まで送るぞ。帰れよ帰れ、山まで帰れ」などと声を合わせて、たいまつに見立てた竹ぼうきを掲げて踊り、自分の背丈よりも大きいうちわをあおいだ。手作りのみこしや虫退治の寸劇も披露。水田を管理する農事組合法人「弘法大師ファームみつまた」も協力し、かかしも立てた。

 仕子(しこ)明日花さん(10)は「みこしやうちわはみんなの提案が採用された。暑かったけど大きな声を出して演奏も間違えずにできた」と笑顔で話し、県産ブランド米「いちほまれ」の秋の収穫を楽しみにしていた。

​中日新聞ニュース

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愛知

【尾張の虫送り】愛知県常滑市矢田 

​ 県内では、現在矢田地区と稲沢市(旧・中島郡祖父江町)にて行われており、昭和59年に「尾張の虫送り行事」として県指定無形民俗文化財に登録されています。
 矢田ではサネモリを「ウンカ送り」、松明行列を「虫送り」といい、6月下旬から7月上旬に別々の日に行なわれます。古来より火に集まる稲の害虫を焼き払うために行われるものとされています。厳しい自然との共生関係を保ちながら地域特有の生活様式を育ててきた矢田川地区の、先祖伝来の行事です。

「虫送り」

2~3メートルもある松明に矢田八幡社で貰い受けた火をつけて、太鼓・ほら貝の音を鳴らした後に続いて矢田川沿いを歩き、火に集まる田の害虫を退治して豊作を願う習わしです。松明は竹の芯にワラ束を巻いたもので、1人1本作り、列を成して練り歩きます。毎年7月頃に行われます

「ウンカ送り」

 農作物に害を与える害虫を退治しようと、五穀豊穣を願って矢田八幡社でご祈祷し、サネモリ人形とフウフの鳥を高く掲げながら、ほら貝と太鼓の音にのって矢田川堤防沿いを練り歩き、最後に矢田川に流します(現在は流さずに処理します。)。毎年6月頃に行われます。

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【祖父江の虫送り】愛知県稲沢市祖父江町

​​祖父江の虫送りは、稲を荒らす害虫を追い払い豊作を祈願する行事で、愛知県の無形民俗文化財に指定されています。
かつては毎年7月10日に行われていましたが、現在は10日に近い土曜日に行われています。

今から約800年ほど前、世の中が平氏と源氏に分かれて激しい戦いをしていたころ,平氏側に斎藤実盛(さいとうさねもり)という武将がいました。その実盛が戦場で稲の切り株に馬の足をとられて落馬し、敵に討ち取られたため、それを恨んで稲を荒らす害虫になりました。その怨霊を鎮めるために行われたのが始まりであるといわれています。

当日は、日中に松明(たいまつ)と実盛人形を作ります。実盛人形は主な材料が小麦稈(から)で、笠と刀を身に付け、馬上で手綱を取る勇ましい等身大の人形です。他には野菜や稲藁などが使われます。松明には小麦稈の他、古竹や菜種殻も使われます。
午後7時頃から行列を作り、高張り提灯を先頭に、実盛人形、松明と続き、水田の虫を追い払いながら、集落内を練り歩きます。行列は半鐘と太鼓の音に合わせて進み、到達地点である虫送り場に松明が集められます。最後に燃え残った松明とともに実盛人形を燃え盛る炎の中に投げ込み、昇天させ、行事は終了となります。
(稲沢市観光協会)

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【虫送り】愛知県犬山市城東地区/五郎丸

虫送り祭事とは

城東地区の前原では、毎年7月に、害虫駆除を祈る祭事「虫送り」と、疫病送りのお祭りである「ダンダンモウセ」が行われます。地区内にある「虫鹿神社」を出発地に、色とりどりの人形やお札をつけた竹を子供達が持ち音楽を鳴らしながら集落を練り歩くという、一種独特な雰囲気の祭事です。

 

前原古の地

「虫送り」は、農薬が普及する以前の時代では、全国各地で行われる一般的な祭事でした。しかし、稲の虫への恐怖が人々の心の中から薄れるとともに急激に姿を消しつつあります。犬山では犬山西の五郎丸神明社や、羽黒の成海杻神社などで現在も残っていますが、これはとても貴重なことです。

 

「去送り」始め話

祭事の主役となるのは、武者の姿をした藁製の人形です。この人形のモデルは、平安時代の武士「齋藤別当実盛」といわれます。実盛は乗っていた馬が藁に足をとられた事で敵兵に殺され、その怨霊が稲の害虫となったといわれる武将です。彼の霊を鎮めその年の豊作を祈る事が、祭りの目的です。

 

未来にむけて

前原地区はそもそも、かつて今井池野にあった「入鹿村」が、入鹿池ができるのに伴って、前原の地に移住してきた場所であるとされます。地区の氏神である天道宮神明社にある楼門は、もともと入鹿村にあったものを移したとされ、古の「奥入鹿村」の情景を今に伝える存在です。

 

虫送りが前原の地で今も残る事が出来たのは、この地がこのように、昔からの空気を残す場所であった所以かもしれません。人々がまだ虫や、神様たちと心通わしていた古の時代の面影を残す地、前原。文章や写真の中だけではおさめきれない生きた歴史の「空気」をこれからも守って行きたいですね。

(犬山市パンフレット「犬山たび」より)

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岐阜

【虫送り】愛知県犬山市城東地区/五郎丸

2023年7月23日 上野地区で虫送りが行われました

美濃市上野地区で、市無形民俗文化財に指定されている伝統的な行事「虫送り」が行われました。
これは、同地区と御手洗地区で毎年行われる伝統行事で、戦の時に稲の切り株につまずいたことにより、命を落とした平安末期の武将・斎藤実盛の霊が稲の害虫であるウンカとなったという逸話から、この霊をしずめることで豊作を祈願するものです。
この日は、自治会役員と保存会メンバーが、横笛に合わせて太鼓の演奏を行う「でんでこでんの舞」を集会場前で3年ぶりに披露し、集まった地域住民を楽しました後、虫よけになるお祓いの短冊とクリとハギの枝を手渡しました。
その後、自治会役員が旗や人形を持ち、一列になり、太鼓をたたきながら、地区内を練り歩き、ウンカ払いを行いました。

(美濃市ホームページより)

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三重

【虫送り祭 / 除虫祭】三重県四日市八王子

宵に響く大鉦と大太鼓の音、四日市市八王子町で「虫送り祭」にぎわう 

三重県四日市市八王子町の「虫送り祭」が7月22日にあり、大きな鉦(しょう)と大人10人余で担ぐ大太鼓の迫力ある音を宵の空に響かせた。虫送りは日本各地にある行事で、豊作を願って行われているが、迷信を嫌ったり、火を使うのが危険などの理由から、見られなくなった地域も多いという。【10人以上で大太鼓を担ぐ見せ場のひとつ=四日市市八王子町】

 八王子町では吉田神社の神事と地域の文化を守ろうという町の人の協力で続いているという。縮小された時期もあったが、1970年ごろに若い世代が復活させたという。

 午後7時ごろ、天白川の新出雲橋で大太鼓を担いで見物人の目の前まで押し寄せたり、大鉦と息を合わせて幅2メートル余の太鼓の面を早打ちしたりする演技をすると、見ていた人たちから大きな拍手が起きた。

提灯で飾った大鉦の山車、子どもたちが乗り込んで太鼓をたたく子ども山車とともに大太鼓が町の主要道路を行くと、大勢の地域の人たちも従った。約10 分歩いて五反田橋近くまで来て再び演技。それを終えて吉田神社へ向かった。

かつては松明を手に歩いたともされるが、住宅の近くを歩くこともあってか、最近は天白川沿いのガードレールに電灯を取り付けて代用しているという。「虫送り祭」は29日に小林町でも行われる。

2023年7月22日 四日市市の広報より

【虫送り祭】三重県四日市市富田

かつては農村のあちこちで見られた年中行事のひとつだったが、四日市市内各地では、大正から昭和初期頃、相次いで廃止されたらしい。富田地区でも長らく途絶えていたが、3年前に55年ぶりに地域の行事として復活させた。

 農作物に被害をもたらす「害虫」には、今では農薬の使用が当たり前になっている。江戸時代でも大蔵永常が『除蝗録』を著し、鯨油を用いた駆除法を紹介するなど、虫対策の研究はあった。

 しかし、江戸時代はもちろん明治に入ってからもしばらくの間、技術的にも、意識の上でも、農家の人々にとって、虫の存在は人間の力で解決できるものではなく、天災だった。そして、収穫のためとはいえ、虫など生類の命を奪うことを悲しむ心根をも抱いていた。

 鉦を先頭に、燃える松明を持った人々が畦道を進むと、辺りは打ち鳴らされた鉦の音と火と、煙幕で騒然となった。虫送りは、豊作への祈りの込めた村の大切な行事だったのだろう。

地区内の3神社(北村若宮八幡神社・茂福神社・伊賀留我神社)から、
集合場所の霊園に向かって出発。重い、熱い。松明を抱えて畦道を行く。辺り一面に煙が広がる。

3ヵ所の参加者が合流し、地区内仏教会の住職による法要が始まった。

blog 人と動物の過去・現在・そして…より

 

※詳しく書かれているのはこのblogだけだったので少し古い情報ですが拝借しました。

【稲生の虫送り祭】三重県鈴鹿市稲生

【丸山千枚田の虫おくり】三重県熊野市紀和町丸山地区

高橋の虫送りをつなぐ会 事務局

​〒969-6245 福島県大沼郡会津美里町西本字元冑甲908-1

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