「害虫の誕生 ―虫からみた日本史」瀬戸口明久著
- noribo
- 2024年6月30日
- 読了時間: 6分
更新日:2024年7月13日
京都大学人文科学研究所准教授で科学史を専門をとする瀬戸口明久氏による著書「害虫の誕生_虫からみた日本史」を遅ればせながら読んでいます。

本書の紹介には「江戸時代、虫は自然発生するものだと考えられていた。そのため害虫による農業への被害はたたりとされ、それを防ぐ方法は田圃にお札を立てるという神頼みだけだった。当時はまだ、いわゆる“害虫”は存在していなかったのだ。しかし、明治、大正、昭和と近代化の過程で、“害虫”は次第に人々の手による排除の対象となっていく。日本において“害虫”がいかにして誕生したかを、科学と社会の両面から考察し、人間と自然の関係を問いなおす手がかりとなる一冊。」とあります。
また本書の内容について東京大学大学院総合文化研究科・准教授の中村沙絵さんが「ゴキブリの足音を聴いた朝」というエッセイの中で触れています。
とても分かりやすいので引用させていただきます。
「環境史学者の瀬戸口明久は、「害虫」という存在は自明なものではなく、近代日本において歴史的に固定化・強化されてきたものだという。
明治から大正にかけて近代農法が導入・普及されると、応用昆虫学の再編成とともに〈農業害虫〉が類型化され、化学の力で排除すべき対象とみなす態度が民衆にも広まった。特に第一次世界大戦から太平洋戦争にいたる流れのなかで、食糧問題の深刻化と近代農業の徹底化への要請、化学製品輸入の途絶と国内の殺虫剤産業の勃興、その開発過程への軍の化学兵器研究の貢献などが複雑に絡み合い、〈農業害虫〉の地位を確固としたものにしていった。
また太平洋戦争の開戦によるマラリア問題の登場は、公衆衛生学や衛生昆虫学の進展へとつながり、ハエやゴキブリをふくむ〈衛生害虫〉の観念を普及させた。
こうして、応用昆虫学が戦争を通じて国家の目的に合うよう再編成されるなか、近代日本における「害虫と人間の関係」は形成されていったという。
「害虫/益虫」の強化や種差別(speciesism)化が植民地拡大や人種差別が荒れ狂う大戦の最中に起きたことは単なる偶然ではないだろう。さまざまな種差別が科学的裏づけと共に制度化されていった背景には、土地や生命過程を極限まで搾取・利用し、あるいは我が物にしようとする人間至上主義的な空間の再編成があった。
ある民族や人種を「害虫化」することは、その支配や排除を正当化する言説的手段となっただけではない。害虫駆除のために開発された毒は、こうして他者化された人々の殺戮に用いられたのだ。
ある意味、その歴史の延長線上に、氷結スプレーも、アリの巣コロリも、ネズミの毒だんごもある。「なかったことに、見なかったことにしたい。始末したことすら忘れたい」。私の感じた嫌悪感は、人間のおぞましい歴史と重なりながら、私を深いところでえぐってくるようだった。」(以上引用)
ほか、本書のレビューより抜粋します。
「明治期に、自然物を「有益/有害」で切り分けていく西洋科学精神が流入した時から、害虫パージの歴史が始まった。手作業での駆除、天敵導入、誘蛾灯、そして殺虫剤。時代は正に大戦期。殺虫剤から毒ガス兵器へ進み、人間に使用される。おお、人間こそが地上最悪の害虫だったのか、とシェイクスピア悲劇のように嘆き、サイエンスオペラの閉幕。面白かった。」
虫送りに触れるレビューもあるのでご紹介・・・。
「ニーチェの『悲劇の誕生』、フーコーの『監獄の誕生』、平朝彦の『日本列島の誕生』と「誕生モノ」で感銘を受けた名著は多いが、この『害虫の誕生』も名著である。
現代に生きる私たちは、パソコンやテレビなどの現代生活の必需品に対しては、それなりの経緯を知っているが、生活の場から消え去ったものにたいしての「誕生」の経緯を知らない。
私は、よく変人扱いされるが、一般人がもつゴキブリ、ハエや蚊(ひどい場合には、昆虫全般)に対する嫌悪感にはまったく同感できず、常々、なぜこんなにこの人たちは、昆虫を怖がるのだろうと感じていた。
その嫌悪感の由来が、害虫の誕生とともに伝承された習慣であるという認識の正しさをこの書物は教えてくれた。
そもそもマラリアのような伝染病を広める生物に嫌悪感をもつというのはわかる。しかし、順序だてて考えると、ハエがマラリアを伝染するという事実を知る前には日本人も西洋人もハエに愛着を感じていた。すなわち、害虫という言葉や思想が形成されることによって生まれた嫌悪感なのである。農業でも虫追いの行事は、虫に対する悪意ではなく、自然現象への「祈り」をふくみ、嫌悪ではなく、諦めから生まれた祈りなのである。虫追いは、虫を駆逐する作法ではない。殺虫剤というのは、正解でも正義でもなく、科学知識が生んだ思想の一つなのだ。そこにはたくさんの矛盾がある。
たとえば、害虫の大量発生に対して現代人の対処法は、除去するという方法をとる。科学知識が表面的な「悪」をあぶり出すのだが、まず、なぜその害虫が大量発生する土壌が生まれたのか、また、必然的に大量発生したものを「殺虫剤」で除去することによって生まれる弊害はないのか。という思想は殺虫剤の思想を越えた思想になることができる。現在の学問の志向は、害虫を排除するという方向を向いていない。
「害虫」という概念を作り出した科学は、「害虫」を害虫であるという理由で共生の世界から排除したりしない。これからの科学を予見するという意味では、「誕生もの」の名著にふさわしい書物である。有吉佐和子の『複合汚染』で指摘されている毒ガスと農薬、火薬と肥料のつながりを越えるような思想が本書では見て取れる。昆虫学の応用範囲はこれからまだまだ広がるのだと再認識した。」
このレビューの最後にも少し触れられているように、殺虫剤産業は第一次世界大戦前後に成長しました。
中でも畑圃場等の土壌をくん蒸消毒する農薬クロルピクリンは殺虫剤として開発されたものではなく、戦時中に使用された毒ガスの一種でした。
このように害虫駆除は戦争と密接な関係にある。これは第二次世界大戦やその後の戦争でも同じことです。
ちなみにベトナム戦争でバラ撒かれ多くの犠牲者と先天性欠損を抱える子どもを量産した「枯葉剤」を製造したモンサントはラウンドアップ(除草剤)の製造販売元です。
さて、カメムシは自分の悪臭で死ぬことがありますが、ヒトもまたマインドコントロールによって生み出された「害虫」という概念や「駆除」という人間本位の傲慢な感覚による生態系の破壊と環境破壊によって自らを滅ぼそうとしているのかもしれません。
京都大学理学部(生物科学)卒業後、同大文学部(科学哲学科学史)卒業。同大大学院文学研究科博士課程修了。
現在、大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。生命科学と社会の界面に生じる諸問題について、科学技術史と環境史の両面からアプローチしている。
共著に『トンボと自然観』(京都大学学術出版会、2004年)がある。1975年宮崎県生まれ。
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